製薬業界に求められるDXとは?取り組み課題や企業事例を紹介

公開日:2024.05.07 更新日:2024.05.07

製薬業界では、既存の創薬プロセスやビジネスモデルの課題を一新する手段の一つとしてDXが注目されています。

今回は、製薬業界におけるDXの必要性や取り組む場合の方法・課題、製薬企業のDX事例などを紹介します。

なぜ製薬業界にDXが必要なのか?

まず、製薬業界でDXの重要性が高まっている背景について解説します。

薬価制度の引き下げ改定

毎年政府が実施している薬価制度の改定では国民の医療費負担軽減を目的に薬価の引き下げ傾向が続いており、製薬会社が医薬品開発事業において採算を取りにくくなっています。特に近年は物価の上昇や円安により原材料の調達コストが増加しているため、以前よりも売上原価率が上昇し利益につながりにくい状況です。

製薬企業にとって主軸である医薬品ビジネスの採算性が悪化する中で、業界ではDXを通して既存事業の生産性向上や新規ビジネスの拡大に取り組む流れが強まっています。

新薬開発の難易度の高まり

主要な病気の治療薬はすでに広く流通しており、開発の余地が残されているのは難病や希少疾患など難易度が高い分野がほとんどです。新薬開発の成功率は約3万分の1とも言われており、一つの薬にかかる研究費用も年数も増加しています。

新薬の開発に成功したとしても、薬価の引き下げや原材料費の高騰によって研究費用が想定どおりに回収できないリスクもあります。

製薬メーカーが創薬ビジネスを継続するためには、AIなどのデジタル技術を活用して研究サイクルの短縮や開発成功率の向上に取り組む必要があります。

パテントクリフ

創薬ビジネスの仕組み上、特許を取った新薬の独占販売期間が終了するとジェネリック医薬品の開発・普及が進み、製薬企業の売上が激減する「パテントクリフ(特許の崖)」の問題が発生します。

製薬企業は特許の満了前に新しい収益源となる医薬品を開発しなければなりませんが、新薬開発の成功率は低く研究費用も増大しているため、創薬ビジネス自体がハイリスク・ローリターンの事業になりつつあると言えます。

そのため製薬業界では、DXを通して新薬開発の効率化や医薬品にとらわれない広い視点での製品・サービス提供を検討する企業が増えています。

DXが製薬業界にもたらす効果

創薬プロセスの短縮

新薬開発分野では、DXにより創薬プロセスの短縮が期待されます。

新薬の研究・開発では通常、基礎研究だけでも2〜3年かかります。しかしAIを活用した研究事例では、膨大な量のデータを高速分析することで、基礎研究期間を1年以上短縮できたケースが複数あります。中には、業界平均で2年かかるとされる化合物最適化を12時間以内に完了した事例も存在します。

参考:製薬メーカーのDX 難局を超え、提供価値を高めるデータ活用|野村総合研究所『知的資産創造』2022年3月号

新薬開発の確実性の向上

創薬においてデジタル技術の活用を進めることで、3万分の1と言われる開発成功率の向上につながります。

たとえば非臨床試験では、開発候補である複数の化合物について、細胞や動物を用いてADMET(医薬品が体内に取り込まれてから排泄されるまでの過程)の特性を調査します。数理モデルや分子シミュレーションなどを活用して調査を実施する前にADMETを予測できれば、開発に適した化合物を効率的に選抜でき、開発成功の確率が高まります。

参考:製薬メーカーのDX 難局を超え、提供価値を高めるデータ活用|野村総合研究所『知的資産創造』2022年3月号

臨床試験の制約解消

創薬プロセスへのデジタル技術導入は、「研究設備が整っている環境でなければ実験できない」「実験を担当する人によって結果が変わる」など臨床試験の制約を解消するきっかけにもなります。

たとえば海外では、ロボット技術で創薬プロセス全体を自動化し、クラウドを通して研究員が遠隔で実験を制御できる「ロボティッククラウドラボ」を開設した事例があります。研究プロセスのクラウド化により研究者は再現性が高い実験結果をリアルタイムに得られ、新薬開発の効率化につながっています。

参考:Eli Lilly and Company in Collaboration with Strateos, Inc. Launch Remote-Controlled Robotic Cloud Lab|Eli Lilly

アウトカム最大化

製薬企業のバリューチェーン全体をデータドリブンな仕組みに変化させることで、アウトカム(医学的介入によって変化する患者の状態)の最大化が期待できます。

たとえば、ウェアラブルデバイスやスマートフォンなどのデジタル端末を用いて継続的に患者のリアルタイムデータを収集し、研究開発に活用している事例もあります。

参考:デジタルバイオマーカーへの取り組み|中外製薬株式会社

製薬業界のDXにおける課題

製薬企業がDXに取り組むうえで解決が必要となる4つの課題を解説します。

新薬研究業務のアナログ脱却

新薬研究の現場では依然としてアナログな業務が多いため、DXを推進するためには既存の業務方法を大幅に変更しなければなりません。

たとえば、研究の信頼性を担保する実験記録に紙のノートを使用しているケースもあります。紙の実験ノートは日時や実験条件、実験内容の詳細をすべて手書きしなければならず、担当研究員の業務負担になりがちです。また、研究過程では試行錯誤した内容や研究員の考察など、実験結果以外のデータも重要な情報源となりますが、手書き記入の場合は手間がかかるため、短く要約されて詳細が抜け落ちてしまう傾向があります。十分な量・質の実験記録を残すためには、電子実験ノートへの切り替えが有効と言えます。

従業員の意識の底上げ

製薬企業が組織全体にDXを浸透させるためには、デジタルや業務改革に対する従業員の意識の底上げが欠かせません。特に、アナログ業務に慣れている層はデジタル化によって新しい業務方法に適応するという負担が生じるため、DXに対し抵抗感を覚える可能性もあります。

従業員の意識を改革するためには、経営層からトップメッセージを発信し続け、DXの先にある企業ビジョンを知ってもらう必要があります。また、現場の負担が少ない小さなDXで従業員にデジタル化のメリットや効果を実感してもらうことも大切です。 

デジタル人材の確保

製薬業界に限らずDXを本格的に進めるためには、変革の中心となってプロジェクトを進めるデジタル人材の確保が必要不可欠です。デジタル人材とは、主に以下の5タイプの人材を指します。


・DXプロジェクトの目的を設定し、マネジメントする「ビジネスアーキテクト」
・顧客視点で製品・サービス設計を行う「デザイナー」・データの収集や解析のプロフェッショナルである「データサイエンティスト」
・DXプロジェクトの目的に合わせたシステムやソフトウェアを設計する「ソフトウェアエンジニア」
・デジタル環境における情報漏洩やサイバー攻撃の対策を担う「サイバーセキュリティ担当者」


デジタル人材を確保するためには、外部人材の採用に力を入れるだけでなく、自社の事業や業務を深く理解している従業員に学習・研修機会を提供し、デジタル人材に育成する取り組みも重要になります。

セキュリティ対策の徹底

DXに伴ってデジタル環境を中心としたビジネス・業務に移行すると必然的にサイバーインシデントに遭うリスクも高まるため、徹底的なセキュリティ対策を実施する必要があります。特に製薬業界は大学や研究施設、病院などと提携していて知的財産や患者のプライバシーに関連する情報を取り扱う機会が多いため、セキュリティ対策が不十分であると自社だけでなく業務提携先も被害を受けかねません。

サイバーインシデントを防ぐためには、多層防御の実施やセキュリティ部門の強化、定期的な従業員教育など多角的な対策が必要です。また、インシデントが発生した場合でも被害を最小限に抑えるBCP体制の構築も重要です。

製薬業界がDXに取り組む方法

製薬業界がDXに取り組むうえで必要となる3つの取り組みを解説します。

DXの先にあるビジョンを明確にする

DXを本格的に推進するためには、DXに取り組んだ先にある企業ビジョンを明確に定めることがまず大切です。DXは目的そのものではなく、社会変化が激しい時代において組織が持続的なビジネスを展開していく一手段に過ぎません。そのため「企業として今後どのような価値を社会に提供していくのか」「価値提供のためにデジタル技術をどう活用するのか」をはっきり示さなければ、ただデジタルツールを導入するだけの表面的なDXで終わってしまいます。

DX推進専門の組織をつくる

DXでは全社横断的な対応が求められる場面が多いため、DX推進を専門とする組織が必要になります。組織内のメンバーは、現場で起こりうるトラブルやあらかじめ想定して適切に対処するために、さまざまな部門・職種の人材が集まっていると理想的です。

デジタル人材の採用・育成を強化する

DX推進には、施策を実現できるスキル・知識を持つデジタル人材の採用と育成の強化が必要不可欠です。

採用を強化する点においては、人事評価や待遇の見直しを行う、リモートワーク導入で働きやすい環境を整えるなどの取り組みが考えられます。育成の面では、デジタルリテラシーに関連するオンライン学習ツールを導入する、意欲のある従業員が最新テクノロジーを学びあえる研修機会を設けるなどの取り組みが挙げられます。

製薬業界のDX企業事例3選

製薬業界で積極的にDXに取り組む3社の事例を紹介します。

小林製薬株式会社

「“あったらいいな”をカタチにする」をブランドスローガンに掲げる小林製薬株式会社は、2023年〜2025年の中期経営計画において戦略骨子の一つにDX推進を掲げています。2023年1月にはCDO(Chief Digital Officer)ユニットを新設して、デジタル活用に向けた組織体制を整えました。


同社では、環境変化をアイデアにすることが得意であるという特徴を活かし、新製品開発におけるテクノロジー導入に取り組んでいます。たとえば、社内から提案されたアイデアやSNS・トレンド情報などから人間が見過ごしてしまうような新規性が高いニーズを分析する「あったらいいなAI」の開発が進められています。


また、DX推進の一環としてデジタル人材の確保に向けた情報発信やメディア露出、生産性向上を目的としたオフィス環境改善などにも取り組んでいます。

参考:DX方針説明会|小林製薬株式会社

塩野義製薬株式会社

2030年のグループビジョンとして「新たなプラットフォームでヘルスケアの未来を創り出す」を掲げる塩野義製薬株式会社は、強みである創薬やHaaS(Healthcare as a service)の提供においてDXを積極的に推進しています。


特にコロナ治療薬開発では、臨床試験や化学物創製などに人工知能やデジタル技術を活用し、国内の企業で唯一、治療薬「ゾコーバ錠」の緊急承認・一般流通に至りました。

参考:「DX注目企業2023」への選定について|塩野義製薬株式会社

中外製薬株式会社

2030年までの成長戦略として「世界最高水準の創薬実現」や「先進的事業モデルの構築」を掲げる中外製薬株式会社は、DXを成長戦略の鍵と位置付け、経済産業省が提唱する「デジタルガバナンス・コード」に対応した組織改革を実施しています。


創薬分野では、抗体の最適な分子配列を提案するAI創薬支援技術「MALEXA®︎」を自社開発しました。また、工場の自動化や遠隔支援ツールの導入、営業データの統合・解析などバリューチェーンの効率化にも取り組んでいます。

参考:中外製薬のDX推進への取り組み|中外製薬株式会社

まとめ

製薬業界では、薬価の引き下げや新薬開発の成功確率の低さなどから、DXによる事業・組織改革が重要な経営テーマとなっています。製薬業界のDXにはアナログ業務の多さや情報漏えいの危険性など乗り越えるべき課題もありますが、ビジョンの明確化や人材採用・育成強化に取り組んでデジタルを前提とした組織体制を構築しましょう。


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